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身近な人の偉大さは半減する -- あるアレゲ人
てゆーか重量言語逝ってよし (スコア:2, 興味深い)
最近どうも俺は、重量言語の存在意義を疑ってます。
つまり言語の殆どは軽量であるべきなんじゃないか?と。
もちろん、軽量にすることで失うものも有る、という場面も有るので、
(たとえば、パフォーマンス的に不利になりやすい言語仕様(の導入)とか)
それはそれなんですが、
それとは別に、単純に「無駄」なんじゃねーの?と思えてならない重量級の言語仕様
というものも見受けられるようなので。
たとえばProthonの時に述べたように、new Classname() という書き方の
存在意義なんて、無い筈なんです。Classname.new()でOKじゃん [srad.jp]…とかね。
new Classname() という書き方は、ものごとの解釈を無用に硬直させてるんじゃないか?と。
コンストラクタのための構文なんてものを別途用意するから、構文のための決まりごとを色々導入しないとならなくなる。
自分で穴掘って自分で埋めてるみたいな感じです。
他にも例を挙げるなら、
○C言語の「()」と「{}」の区別。式なのか否かを「厳密に」分けることに価値が有るんだろうか?「()」の中でgotoと書きたくなったり、「{}」の中から値を返したくなったりしたことは無いかい?
○C++…きりがないので割愛(藁
とか、
言語仕様が大きいんだけど、大きくした(=制限を導入した)ことで何か得るものが有るかってーと、
特にない、っていうことが結構有るなあと。